インタビュー6:マリオ⋅オルランド
マリオ⋅オルランドは本名です。芸名ではありません。よく聞かれるんですけど。
ミロンゲロスの部屋(タンゴを受け継いで行くという事)
アルゼンチンタンゴの先駆者である“ミロンゲーロ”達によるインタビューをシリーズ化しました。
このインタビューの目的は、古い時代より生き,踊り続けて来たミロンゲーロ達の声を聞く事によってアルゼンチンタンゴの歴史、文化,美学を学び、伝統を受け継ぐ事が出来ればと願い始めたものです。
皆様おまたせしました。日本でも御馴染みのホルヘトーレス先生の登場です。今回のインタビューはメールでのやりとりではなく、実際にお会いして行われました。世界を飛び回る多忙なスケジュールのあい間とぬって大変親切に私のこだわった質問に答えて頂きました。お楽しみください。
=2009年 7月、8月 植木 公美子によるインタビュー=
1. どれくらいタンゴを踊っていますか?
私は3歳の頃から踊り始めて、5歳の頃からパフォーマンスしています。私の恩師は、私をいわゆるプロフェッショナルなダンサーとして育てるために、ダンサーとしてスタートしてフォルクローレアルゼンティーナ、バレエ、フラメンコそしてアルゼンチンタンゴを習いました。
私の恩師はノルベルトグイチェンダックといい、彼は私の人生においてとても重要な人です。彼は私にすべてを教えてくれました。どのようにしてダンサーになるか,ダンスをどう敬うか、人生とは...全ての事についてです。彼は本当にたくさんの事を教えてくれ,私は次第に実父より彼と時間を過ごす様になり彼は私の第二の父となり、私の一番の助言者となりました。彼は現在72歳ですが、私は未だにアルゼンチンに帰る度に彼に会いに行きます。彼はコロン劇場の主役級のダンサーでバレエ,フォルクローレ、フラメンコ、タンゴを踊り,ピアニストでもありました。彼は教師として,踊り手として,人として全てにおいて完璧でした。彼はかつてヨーロッパに住んでいましたが70年代初頭にアルゼンチンに戻り何故が私の近所に住む事になりました。私の住んでいた地域はとても小さな町で何故彼が引っ越してきたのか誰もが謎に思いました。が,そのおかげで私は彼に出会う事ができ、彼は私をダンサーになるため育て上げてくれたのです。
10歳まで彼のもとで師事した後私は、国立フォルクローレバレエ団に20歳になるまで所属しました。私が学校に通っていた頃、そこには私よりも数段上手なクラスメイトがたくさんいましたが、その中の多くの者は両親が学費を払い続ける事ができなかったため学校に通い続ける事ができませんでした。もし彼らがそのまま学び続けていたら今の私よりももっと素晴らしいダンサーになっていた事でしょう、しかし皆別の人生を歩んでいます。幸運にも私の両親は私の学費を払い続ける事ができました。私の両親は私を卒業させるため一生懸命働き続けてくれ、そして私は学校を卒業し国立コロン劇場バレエ団に所属しました。
コロン劇場に所属した後、歌手のリベルタラマルケ(カルロスガルデルと同レベルの女性歌手)からの出演依頼があり、私はタンゴダンサーとしてパフォーマンスを始めました。
2. いつ頃タンゴダンサーになろうと決めたのですか?
それは私の選択ではありませんでした。私の先生は全ての種類のダンスを教えてくれました。初めて私達がタンゴを習った時私達はまだ8歳か10歳で、子供だったのでどの種類のダンスもゲームみたいに楽しんで習いました。私達は幼い頃からパフォーマンスをしています、私は5歳からです。なので私達にとっては“プロのダンサーになる”と言う考えはありませんでした。それは自然な事である日,ある瞬間にダンサーになると決めた訳ではないのです。私達は既にダンサーであってそれは当然な事でした。
3.いつからミロンガに行き始めましたか?
20歳になってからです。パフォーマンスをしながら,ダンスを教えて,さらにたくさんの種類のダンスを学んでいた為私はとても忙しく、全く時間がありませんでした.自分の時間は一切無く、寝る暇さえありませんでした。一生懸命働き,自分を限界まで追いつめ、追して、追して、若かったので可也無茶をしました。自分の極限まで挑戦し頑張る毎日でした。
4. そうすると、その頃ミロンガに行くのは仕事の一部だったようですね。
そうですね、その頃は毎日3時間しか寝ていませんでした。一生懸命働き,プライベートの時間は一切なく、友人達とディスコに行く事さえありませんでした。ただ,仕事一本。それっきり!
5.初めてミロンガに行った時どう思いましたか?
何だか怪しい人たちの集まりに思えました、マフィアのような。自分の席に着いているのが一番安全な場所でした。それも出来る限り座高を低く、低くして。立つと何も見えないので、深く低く座っていなければなりません。皆煙草を吸い,部屋の中は煙で充満し真っ白でした。空気がとても悪く何も見えないので,煙を避けるために、深く低く座っていなければなりませんでした。そこが一番安全な場所でした。
6. いつ頃から仕事のためでなく自分の楽しみのためにミロンガに行く様になりましか?
タンゴ一本でやって行こうと決めた後だと思います。バレエを辞め他の全ての種類のダンスを辞めて、アルゼンチンタンゴのみのダンサーになりました。なぜならタンゴが自分を表現するのに一番だと気がついたからです。バレエやアルゼンチンフォルクローレよりも入りやすく,一番、性にあっていました。20才過ぎてからです。
7. 自分はタンゲーロだと思いますかそれともミロンゲーロだと思いますか?
もともとは私はダンサーです。私は現在42歳で,そして39年踊り続けています。私の人生はダンサーになるためだけにありました。そして、わたしの師は私をダンサーにしたかったのでそのような訓練のおかげで私は自然にダンサーとなりました。
しかし,ミロンゲーロ、、、ミロンゲーロであるという響きにはあまり良い響きはありません。昔、ミロンゲーロと言うとそれ以外には無能で、働かず,お金もなく、ただ女性を追いかけ、夜を生きる人々でした。昔は,ミロンゲーロと言えば侮辱に近いものがありました。年月が過ぎ、タンゴビジネスにより“ミロンゲーロ”はひとつの商業用語になりました。現在では、ミロンゲーロスタイル、ミロンゲーロこれこれ、ミロンゲーロあれあれと興行用に使われる“ミロンゲーロ”になりましたが。また,ミロンゲーロと言う言葉の直訳はミロンガに行く人です。しかし、、自分をミロンゲーロと思うかどうかですか?とんでもない!ミローンゲーロとは最低なものだったのですよ。
- そうするとあなたはタンゲーロですか?
そうです。
8.タンゴの何を一番楽しんでいますか?
何か私を驚き続けてさせる感情を楽しみます、その感情は私の血の中で何かくすぐったいような感じで、私を踊らせる物です。たとえ全ての曲や何かを知り尽くしていたとしても、あるひとつの感覚がある特有な形で私の中に入ってきます。そういう物が私を踊らせます。ミロンガでも,もう帰ろうとした時にある曲が流れてきてまた踊りに戻った事はありませんか?食べ物のような物です。自分ではお腹いっぱいでもうこれ以上食べられないと思っていても見たら食べたくなる、、(チョコレートやケーキなど)もう食べられないと言いつつ、ついまた食べてしまう。
9. 踊っている時,一番大切にしている事は何ですか?
私にとって一番大切な事は男と女が二人、一緒に踊っていると言う感覚です。人々はかつて私の事を“踊る男”と呼びました。私は何の変哲もないただの“男”が踊っている様に感じたい。何故かと言うと、私は物心つてからずっとダンサーとして生きてきました。なので私は踊るとき“ダンサーっぽく”見られたくありません。私はその女性と一緒に踊っているある一人の男に見られたいのです。それが私にとって踊るとき一番大切な事です。ダンサーの踊りではなく、もっとリアルでありたい。踊っている一人の男でありたいのです。
10. 何が踊りを美しくしますか?
静寂と鼓動を楽しむ事です。それによりもっと人の奥まで到達でき,パートナーの内部,自分の内部に入って行けます。外側ではありません。奥に入れば入る程、残りは美しくわき上がります。全てを感じる事ができます。
11.タンゴで私達は気品についてよく語ります。何が気品でまた何が気品でないか、説明して頂けますか?
気品と言うのはあなた自身そのものです。あなたは気品がありますかそうでないですか?(ここで、彼は目の前にある塩のボトルを手に取って)これには気品があると思いますか?違いますね、これに気品はない何の変哲もない普通の塩ボトルです。でももしあなたが高級レストランへ行ったら見る物全てに気品がありますよね。何に気品があって何がそうでないか人は知っています。
—しかし、ここ自由の国アメリカでは人々は気品のある物よりもっとカジュアルな物を楽しんでいる様に思えますが。
そうですね。。昔アルゼンチンでは人々は気品がありました。例えば、この間のチャンピオンシップで皆とても気品のある装いをしていました。普段は誰もスーツなんて着ません。何故皆チャンピオンシップの日にスーツを着るのですか?皆気品ある様に見られたいからです。でも,その日だけ身につけるだけで,本物ではありません。
11.よいダンサーとは?
よいダンサーとはたくさんある物から少しを使って踊れる人です。量は質をもみ消します。
12. 何故タンゴは美しいと思いますか?
私の人生において家族の他に大切な2つの情熱があります。それはタンゴと武道です。たとえどれだけ眠くて疲れていても誰かがタンゴか武道の話を始めればものすごい勢いで目を覚まします。どれ程疲れていてもです。
- それは音楽故にですかそれとも歌詞,ダンスですか?
いいえタンゴに含まれる全てです。概してタンゴ全てです。色んな意味でタンゴを愛しています。色んなタンゴを感じるのが本当に好きです。私は1967年に生まれ70年代を生きました。私はタンゴの黄金時代を知りません。そこにいなかったし、全く知りません。なので私は私の観点から,私の世代の観点から感じようとしています。私はNYに住み,アルゼンチンにいつもいる訳ではないのでお年寄りからそれを感じ取る事もできません。お年寄りと話をしたり質問する事でもそれを感じ取る事ができるからです。しかし、最終的に私にとっては彼らのダンスを見れば色んな事を知る事ができます。彼らの踊りを本当によく見れば,穴があく程見れば、彼らの顔が物語る様に彼らの人生の反映を見る事ができます。そして彼等は誰に見られようが気にしません。
ほとんどの若い人たちは他人がどう思うか,なんと言われるかばかリ気にして自身に素直になれないようです。誰でも恋をすると,食べ物ものどを通らなくなり、眠れなくなります。それは魔法です。誰がなんと思うか気にしません。私にとって(タンゴの)美しさとはそうゆう事です。
13.あなたはよく“自分に正直に”とおっしゃいますが、それはダンサーとしてと言う意味ですか?
ダンサーとしてです。一番はダンサーとして,でも人間としてもです。あなたは自分に対して正直でなくてはならないなぜなら私達は皆社会に影響されているからです。例えばあなたがケーキを食べたかったとしますでも他人があなたの事を太っていると思うのであなたはお茶を注文します。あなたは他人がなんと思うか気になるので自分の意志を変えました。これをしたかったのに他人の目が気になりしなかった。それはタンゴの中でもおこります。あなたは本当にしたい事をする代わりに,社会で正しいと言われる事をします。踊るときは誰がどう思うか,なんと言うが、またはこうしなければならないという事を考えるべきではありません。相手と踊る時、相手に近くになればなるほどそれは次第に自分自身との関係になります。あなたは自分に正直でなくてはならず、それはあなた自身との関係なのです。
14. 人を教える時,何を教えようとしていますか?
私は人々に知識を与えたい、そのような努力をしています。私にとって最も重要な事は私は教育者でありたい、と言う事です。私達は皆、自分達を正しい方向へ導いてくれるよいガイドが必要だと信じています。もしも私達が正しい知識で正しくあなたを訓練すればあなたはアルゼンチンタンゴ(文化)にとって有望な人材になります。でももし私が間違った方法で,ただステップのみ教えればそれはゴミを増やすばかりで、アルゼンチンタンゴ(文化)の繁栄に悪影響を与えるだけです。私達には“よいダンサー”が必要なんです。“よいダンサー”とはどの国かは関係はありません。これは私の全ての生徒達に言う事です。
私達にはよいダンサーが必要です。さもなければアルゼンチンタンゴは滅亡してしまいます。タンゴはゴミくずと化してしまいます。
私は生徒達がどのようにしたら簡単に自分を表現できる様に、どうしたらタンゴとは何か理解できる様に、どうしたら自分自身を尊重できる様に,腕の中にいる相手を尊重できる様に、どのように音楽を聴ける様に、また音楽を理解できるよう様になるか、など等たくさんの訓練をする事に興味があります。ただ音楽をかけて踊ればいいと言う物ではありません。“学ぶ”必要があります。理解させる努力をする、これは私達の責任下にあります。人生,ダンス、音楽そして全ての事についての知識を与える、このような仕事をするのが私は好きです。
15.私達に向けて何かメッセージはありますか?
つまらない話に踊らされながらタンゴを踊らないでください。話をしてみたり、学ぶべき人から何かを学んで下さい。残念な事に最近はたくさんの人が無意味に踊らされています。そして問題なのは何もかも皆信じてしまう事です。例えばこの間の(アメリカでの)チャンピオンシップの時、インターネット上で色んな馬鹿げた話が飛び交いました。なぜ皆、何も知らないのに自分が知っていると思うのでしょう。彼らは言う権利があると信じていますが,わたしは気にしません。これから私はアルゼンチンで行われるムンディアルデバイレデタンゴの審査員をする事になっています。と言う事は私はアルゼンチンのタンゴ協会にとってもとても重要な人物だと言う事です。なぜなら私は政府が主催するチャンピオンシップの、色んな国や都市で行われるチャンピオンシップの審査員の一人だからです。だから私は自分の言っている事に自信があるのです。なので、これは私自身に問題がある訳ではではないのです。もし私のやっている事に疑問があるのなら直接聞きにくるべきです。これ以上私達のタンゴの世界をけがすような事は止めるべきです。誰も望んでいません。今年のアメリカでのチャンピオンシップで2人の出場者が私に質問に来ました。素晴らしい事だと思います。その事によって彼らは何か今後のためになる事を見つけたと思います。私は,彼らに“こうゆう事が必要なんです。よく聞きに来てくれました!これで,せめてあなた方がヒントを知っていると言う事がわかって私は本当にうれしい”と伝えました。私は誰かを助けるためにそこにいるのではなく、審査員としているのです。誰かを助けるためでなく、アルゼンチンタンゴを助けるためにいるのです。誰がそこで踊っていようと私には関係ありません。チャンピオンシップに関係している誰かの友達だろうが,妻だろうが,息子だろうが娘だろうが私には関係ありません。私はアルゼンチンタンゴを助けようとしているのです。多分,そんな訳で、NYにいるインストラクター達は審査員になりたくないのでしょう。なぜならここにいる人たちはその事で,彼らを嫌い始めるからです。でも私はそんな事気にしない、私の人生は違う所にあります。私の立場は違います。私にとってタンゴは商売ではないのです。
<2009年7月>
16.“コード(きまり)”とは何ですか?前回までのインタビューで私達は何回もこのコードと言う言葉を耳にしました。私はただ単に一般的な意味のマナーや規則だと思っていましたが、そこにはもっと何か意味が含まれているような気がするのですが。。。.
そうですそれらは全て含まれています。
—日本では、何種類か違う話し方があります。両親に,友達に,先生に,弟に、相手によって使い分けます。この,コードとはそのような物ですか?
そうです、その通りです。コードとは相手を尊重する事によって成り立つ礼儀作法です。その作法はある一つの仲間/関係があって、始めて成り立つものでその関係に属した者にしか理解する事ができません。 今の若い人たちは誰が誰だかも何も知りません。誰も知らないので部外者です。彼等は以前のとても重要なダンサー達をまるで知りません。皆外から来た人たちばかりなので人間関係がありません。なので彼らにはコードが成り立たないのです。彼らには,私達がかつて持っていた“コード”がないのです。
—ブエノスアイレスでさえですか?
私はブエノスアイレスの事をお話ししているのです。コードは消えてしまいました。コードを知る一番の方法は古い世代の人間と接触し学んで行く事なのです。
17. いつがあなたにとってのタンゴの黄金時代はいつでしたか?
現在が黄金時代です。どうしてだかわかりますか?今はもっとタンゴを有り難いと感じられるからです。今やっとタンゴを理解してると言えるようになりました。
—タンゴを理解するのにどれくらいかかりましたか?
20歳位の頃、人は皆自分は色んな事を知っていると思います。しかし30代に入るともっと色んな事がわかってきます。それは経験から来ます。あなたの人生の歴史からわかる物です。今私は2度目の結婚ですが、色んな経験を経て何が痛みかわかりました。たくさんの傷を作りそれがどのような物かわかりました。そして,タンゴの歌詞を聞くとまさに自分の気持ちを歌っているのです。私は,どうやって私の気持ちがわかったのかと驚きます。“彼はまさに私の気持ちを歌っている!”と。そしてそれは違う人にも同時に起こります(笑)
—それでは,タンゴの歌詞はとても重要だと思いますか?
そうです。歌詞を知らなくては行けません。でなければ、誰かの死について歌っている曲なのに喜びにはね上がり、興奮して踊るなんて事はできません。
私が踊るときは曲に対して即興で踊ります。ピアノと踊るときがあれば,バイオリンと踊るときもあれば、曲によって踊り分けます。
— それをステップとリードをしながら、どの様にして一緒に行うのですか?
音楽が自然にそうさせてくれます。そのためには、充分な技を持ち合わせてなくてはいけません。よいリーダーはパートナーを躍らせるよう誘惑することができ、相手の女性の存在を感じる必要があり、自分もそこに存在していています。リードが自分勝手すぎてもだめですし、遠慮しすぎてもだめで相手に思い通りに動いて貰うにはうまく誘導できなくてはいけません。
“信頼は尊重をなくす“
スペイン語にも自信、信頼?という言葉があります。自分の中のいい友達に、わたしはあなたを信頼していますといえます。でもタンゴでは“信頼は尊重をなくす”と言い、とても仲のよい友達と踊ると尊重する心をなくしてしまうと言います。長年の知り合いと踊るときそれは次第に慣れ合いになってしまいます。あなたはその相手が次に何をするかわかってしまい、注意を払うのを忘れていしまいます。
いつも同じ人と同じ曲を踊り、新しさも新鮮さもなくしてしまっている人たちもいます。しかし、初めての人と踊るときは神経を集中させ本当に相手を感じなくてはいけないし、全身全霊でそこに存在しなくてはいけません。なので私は常にパートナーを変えて踊ります。私は常に違う人と踊り、アルゼンチンタンゴを新鮮で新しいものに保っています。
18.年配の方が踊っているのを見る事によってたくさんの事を知ることができるとおっしゃいますが、それはインターネットなどから見てもそれを感じることができるんですか?私は実物を見ることはできないのですが、実際その場で見ないと見れないものなんでしょうか?それとも画像でも見えるんですか?
そうですね、みるといっても違った見方をしなくてはいけません。その人がいったいどういう人物なのか。どういった人生を歩んできたのか、何を乗り越えてきたのか。見ると言ってもただ動きを追うだけではないのです。違う見方をするのです。
—うーん私にはアルゼンチンでどのように人々が暮らしてきたかわからないのでその人がどうゆう人生を歩んできたかは憶測しかねます。やはり理解するためには、基本的な生活状況を知るべきですか?
うーんたぶん、。。。知る必要があると思います。.
—もしくは、その人たちがどういった人だか知っている方が理解しやすい、とか?
勿論、もしその人たちを知っていればもちろん、もっと興味深くなるでしょうね。。
—また,若い人たちについて,彼らは正直に踊る事を恐れていると言っていましたが。。。。
最終的には彼らは踊りたい様に踊ります、でも彼らは別に経済だの,将来の事を考えている訳ではない、ただ毎晩遊んで楽しみたいだけです。子供を育てて行く事や生活をして行く事、様々な経験を若すぎるためにまだしていない。色々な体験をして初めて人は変わって行くだから若い人たちで人間ができている人は少ないのです。子供でも、幼い頃から沢山の苦労をした為人間が出来上がってる場合もありますし、60歳や70歳になってもまだ人間ができていない人もいます。人生で何が起きたかが人を変えるのであって,年齢ではないからです。
- それが踊りにでると。。
反映としてです。
- ...それが私にはよく見えないのですが、、、。感じる事はできます。踊っている時,それを感じる事はできます、なので私は年配の方と踊るのが好きです。でも,見えないんですよね、、、。
大丈夫です,それは知識で、時間がかかります。学んで行って,わかろうと努力する。。それでいいのです。.
19. よく,様々なタンゴのインストラクターがそれぞれ違ったスタイルで教えますよね。私達はとても戸惑います。ミロンゲーロ,サロン、ファンタジアスタイル。。。とはどういった物なのですか?.
ファンタジアとはカルロスコペロのような,ステージの物です。サロンはとてもシンプルで,気品があってとても繊細な動きをします。参考のために言いますが、皆勘違いをしていると思います。サロンスタイルとはただ歩くだけなのです。クロスさえもしないのです。最近の人たちが踊るサロンはサロンスタイルではありません、あれはタンゴピスタです。それでいて,皆サロンを踊っていると思っている。皆ミロンガでステップを組み合わせて踊るのはピスタです。以前は歩くだけでした。サロンは歩くだけで,形はないのです。
- 形とは?
形とは,ステップを踏む組み合わせの事です。
- そしてタンゴピスタとは?
それは別料金になります。
- 判りました。(笑)
20. 世界的に有名なタンゴダンサーのクラスを受ける時に私が、“ミロンゲーロ”や“ウルキッサ”などを口にするといつも“複雑に考えるな!これはアルゼンチンタンゴだ。”と怒られます。彼らはスタイルについて語るのが嫌いなのでしょうか。
そうですね、それを語っても何の意味もありません。それぞれの地区にはスタイルがあって、みな自分自身のスタイルを持っています。ひとつの決まったスタイルはありません。例えばウルキッサの人を20組あるクラブへ連れてくるとします。彼らは皆同じ様には見えないでしょう。皆,違って見えるはずです。でなければ,皆コピーであってオリジナルではなくなってしまうからです。
そして,アルゼンチンタンゴで最も大切な事は、オリジナルである事です。自分の躍りでなくてはならない、でなければただのコピーになってしまいます。大切なのは自分自身のスタイルに忠実である事です。.
21. どうやって自分の踊りを創りだすのですか?
赤ん坊が言葉を習うのと同じです。はじめ、赤ん坊は何かを言い始めますが,何を言っているかはよくわかりません。彼らは何か音を発していますが誰も理解できる物ではありません。そして,ママ、パパ、など私達が教えた言葉を学び始めます。そして、パパ、ママ、これ、あれなど単語を学んだ後、私達は“ママ大好き”など文を教え始めます。しかし彼らにはまだ,それが何の意味なのかわかりません。ただ繰り返し言っているだけです。まず単語をまねし始めそして文章になります。その後,この単語とあの単語を組み合わせて,違う意味になると言う事を学び始めます。ここに変化が生まれます。その後,母親が教えた言葉だけでなく自分の言葉を話し始めます。
- では,タンゴでもまねする事から始める必要があると。
そのとおりです。まず単語から,そして文章へ最終的に自分のいいたい事を話す。自分の言いたい事がわかれば,自分のスタイルを確立した事になります。
- 始めはまねから初めてもいいのですね。
はい、まねする事,学ぶ事が必要です。それでいいのです。そして徐々に自分のスタイルを確立して行くのです。
しかし今いるインストラクター達には問題があります。私達は生徒を自分の様にするために教えているのではありません。彼らがより自分らしくなれる様教育するのです。これは全く違う事です。ほとんどのインストラクター達は,自分のようになるよう生徒を教えています。コピーを創っているだけです。これはよくありません。“こうゆう踊り方をするあの人は私の生徒です。”という事になるからです。これはひどい。彼らは生徒を台無しにしてしまいます。そうするつもりはなくとも、殺してしまうのと同じようなことです。
私達は,教師である前に教育者でなくてはなりません。教師は生徒達にただ方法を見せますが,それができる様になる為の知識、教育もしくは、自分で決断する力を与えません。教育者はどのようにしたらそれが可能になるかという手段を教えます。しかしあまりにもたくさんのインストラクターがいるために、彼らは何をすべきなのかわかっていません。それは,全ての国で,色んな所でおこっています。ちょっと勉強しただけですぐ教える様になり、たくさんの将来性のあるよいダンサー達をつぶしています。彼らは間違った事を間違った方法で教え,彼らに正当な手段を教えていないのです。.
22. 多くの人は,タンゴのステップを踊っていても,気持ちや,態度がアルゼンチンタンゴでなかったり、また、間違った動きをしても“これは私のスタイルです”と言い切る人もいます。何が,タンゴとタンゴでない物とに分けるのですか?どこからタンゴでなくなってしまうのですか?私達のような外国人にはそれを区別するのはとても難しいのですが、、。
勉強をする事です。
今は,インターネットがあります。昔私達がタンゴを習っていた頃はインターネットなどありませんでした。なので,私達にはあまり情報がありませんでした。情報を得る唯一の方法は誰かと一緒にいたり,クラスをとって皆を観察し,得る物でした。しかし今では,たとえ世界の果てにいたとしてもクリックするだけで,何だって見れてしまいます。たとえタンゴを知らなくても、情報を得る事ができます。今では,タンゴの事は何も知りませんという事の方が難しい。色々見なくてはいけません。今ではあなたがやっているようなたくさんのインタビューもあるし,たくさんの情報もある。一線で活躍する人の話が聞け、色々なヒントを与えられ,それによって何が正しいのか判断する事ができます。昔に比べたらより簡単です。しかし誰がよい教師で,誰が色々知っているかを知ろうとする必要があります。.
-誰がよい教師なのか知るのはとても難しいです。。。
私がいつも生徒達に言うのは、どんな先生に習ったとしても、なぜ,こうしなければならないか,なぜこうしてはいけないかと聞かなくてはいけません。もし,全て答えられれば,その人はよい先生です。もしその人が,“いいからこのようにやって下さい,なぜならこれはこうなのです”と教えたらもうそこへ行くのは辞めた方がいいです。間違いです,なぜならその人は答えを知らないからです。私達は,自分の息子や娘の質問に答える様に,全ての質問に答える必要があります。私達は答えを知っているべきです。なぜなら,彼らににとって私達は模範であるからです。もし私が正しい答えを知らなければ、子供達は母親の所へ聞きに行くでしょう、そして母親も知らなければまた誰かの所へ行くでしょう。私達は,物事を可能にする必要があるのです。そして,可能にするにはどうすればいいか学ぶ必要があります。.
-という事はどれだけ学びたいかというのはその人次第という事ですね。
その人がどれだけ知識に対して貪欲かです。苦労して手に入れた知識は自分の自信になります。自分のための知識です。私がいつも生徒達に言うのは,私がどれだけ教えられるかが問題ではなく、そこからあなた達がどれだけ学べるかが重要なのです。それはどれだけあなたが学ぶ事に対してオープンかという事です。それは私も同様、自分の師から体験した事です。今でも私はアルゼンチンに行く時私の師に会いに行きます。質問は踊る事だけでなくてもいい、人生を語るのです。
ホルヘ トレス
El hombre que bailar
<2009年8月>