ミロンゲロスの部屋(タンゴを受け継いで行くという事)

アルゼンチンタンゴの先駆者である“ミロンゲーロ”達によるインタビューをシリーズ化しました。

このインタビューの目的は、古い時代より生き,踊り続けて来たミロンゲーロ達の声を聞く事によってアルゼンチンタンゴの歴史、文化,美学を学び、伝統を受け継ぐ事が出来ればと願い始めたものです


2011年1月31日月曜日

インタビュー6:マリオ⋅オルランド

今回のインタビューはタンゴDJです。ブエノスアイレスで今最も有名なDJマリオ⋅オルランドさんです。この日はスンダーランドの主催者マテラ夫妻を訪ねてインタビューに出向いたのですが、マリオさんとの約束は入れていませんでした。でも親切なマテラさんの計らいでマリオさんは速やかにインタビューに同意してくれました。時はマテラ夫妻のインタビューした直後で、そろそろミロンガが始まろうとしていた所です。今迄ガラガラだった席に人が座り始め、食事をしたり、挨拶に立ったり、ダンスフロアーにはまだほんの数カップルしかいません。DJにもインタビューしたいと思っていたのでとても嬉しかったです。


Q. DJを初めてどれくらいになります?

30年前後になります。ここ(スンダーランド)では10年位です。15年以上やっている所もあります。

Q. 曲を掛ける時、何を基準に選曲されるのでしょう?

私が掛ける曲は、その地域(バリオ)のスタイルに合わせて選びます。それぞれのバリオには独自のスタイルがあり、ステップも違います。ここ、ウルキッサのスタイルの特徴はエレガントでステップが長い。ブエノスアイレスの中心地のようにダリエンソやビアジ、ロドリゲスなどの早いリズムの曲を多く掛ける所もあります。同じ曲でも場所が違うと好まれません。例えば、スンダーランドでロドリゲスを 掛けるとします。皆踊る事は踊ります。しかしあまり喜ばれません、なぜなら彼等が踊るスタイルに合わないからです。ここの人が好きなのはタントゥーリ、カロ、トロイロ、ディサリ、ダゴスティーノ、、、ディサリは多く 掛けますね。
  
今私が掛けているこの曲はディサリのスタイルを持った新しいオーケストラのものです。ディサリの様に聞こえますが、これは若い人達によって形成された彼等独自の個性を持った新しいオーケストラです。この様に少しだけですが新しい曲を流す事によって、ここの人々に徐々に慣れていってもらうのが目的です。このミロンガの持つ伝統は保ちつつ、同時に私は新しい人々、新しいミロンゲロ達にも合わせています。ミロンガの雰囲気を変える事なくレパートリーを増やしていくのです。

Q. 季節によって曲を選ぶ事はありますか?

季節で選曲をする事はありませんが、季節によって来る人々が変わるので、来る人々に合わせて私は曲を変えます。例えば,4月から8月などのローシーズンには、ミロンガの雰囲気は変わります。観光客は少なく,地元の人ばかりだからです。また、ヨーロッパからの人が多い時期、日本、もしくはアメリカからの人が多い時期というのがありますので、その時の雰囲気によって曲を変えます。

Q. 外国人と地元の人では曲の好みは違いますか?

外国人はもっとオープンマインド(許容量の幅が広い)と思います。アルゼンチン人が聞きたいオーケストラは5つだけです。それ以外は何も聞きたくない、彼らが聞きたいのはそれだけです。DJの仕事で海外を周り始めた時、外国人のDJが”この曲知らないの?”と聞いてきました。知らないのではないのです、誰も踊りたがらないからかけないのです。なので外国人に対して私はもっとオープンマインドになるよう心掛けます。

私が曲を掛ける時にはいつも(その曲が力強く鳴り響くように)たくさんのエネルギーを注ぎ込みます。しかし外国人のDJの音楽の中にはあまりエネルギーを感じられません。

Q. 地元の人々はどのように音楽を受け入れますか?

思うに タンゴでは常に音楽に対する強い執着があります。例えば,30年代のミロンゲロス達は30年代の音楽に踊り慣れていたので、40年代の曲が流れ始めると”こんな曲では踊れない!”と言いました。彼らは,その音楽に慣れていないなかったからです。当然50年代にも同じ事が起こりました。特にこの時代はたくさんのオーケストラが出た時代で、例えば,ディアンジェリス などメリーゴーランドミュージックと呼ばれました。 それは彼等が今まで踊っていた踊り方と音楽がしっくり合わないので受け入れられなかったのです。

Q. 一般的にDJの方も踊るのですか?

いいえ、殆どのDJは踊りません。踊れないです。私は,DJとして踊れないのは大変な間違いだと思います。私は25年間踊っています。サルサも踊るし、DJもします。他のスタイルのものも好きです。ディスコ(クラブ)結婚式などいろいろな種類のパーティーでDJをしていた事もあります。 

Q.  他の所でDJをするのはどんな感じですか?

その経験は私の音楽にエネルギー(響き)を注入する柔軟性を与えてくれました。 例えば、結婚式で会食をしている時とします。DJ は静かなリラックスする音楽を掛けているのに私は気がつきました。その曲はとても穏やかで眠リをそそるような音楽です。音楽があまりにも静かな為、食事が終る頃にはみんなリラックスしきっていて,とても立ち上がって踊る状態ではなくなっています。(笑)なので私は、彼等がかつて10年前によく踊っていた曲を掛けてみました。よく知っている曲を掛けてその気にさせるのです。このような色々な技を使い、私は人々を立ち上がらせます。この様に,タンゴでも人々を踊り続けさせるのです。

Q. ということは色々な角度から人を観察する能力が必要な訳ですね.

DJというのは、ダンスフロアーの精神科医だと思います。そこにいる個々の人ではなくダンスフロアー全体です。昔一度、友人の人類学者に招かれダンスフロアーの人類学についての講話をした事があります。タンゴには色んな性格の人がいるからです。例えば,午後のミロンガに来る人と夜のミロンガに来る人は違います。アフタヌーンミロンガに来る人たちは何らかの事情がある、今の自分が判らなくなってしまった当惑した人たちです。何かから解放される為、問題を忘れる為にやってきます。夜のミロンガに行く人は、ただ楽しい時間を過ごしたい人たちです。

Q. DJという仕事はどうですか?

11年間DJをしているミロンガがあるのですが、ある夜、1927年のカナロの曲を掛けていました。曲はとても美しくフロアには人がいっぱいでした。人が多すぎて動けないと皆文句を言っていました。一人の女性が踊っていて、その女性が寄って来て言いました。”この曲止めてもらえませんか。気が滅入ってしまいます。” わたしは、”それは申し訳ない,でも私はDJであなたの精神科医ではないのです。”と答えました。明らかに彼らは、踊れなくて文句を言っていたのですけどね。(笑)

この仕事は,とてもストレスがたまります。ストレスに耐えきれずDJを辞めた友達は沢山います。人々は決して満足しません,いつも非難してきます。皆を喜ばせる事は不可能です。感謝される事が少ない仕事です。

そろそろブースに戻って曲を代えないといけません。

お時間頂き,ありがとうござました。









精神科医:ご存知かもしれませんが欧米では精神科医をサイコセラピストと呼び一般の人が気軽にかかります。特に中流以上のインテリ系の人は自分のセラピストがいます。ちょっと肩がこったので指圧に行く、位の感覚です。そしてブエノスアイレスでは欧米以上にサイコセラピストにかかる人口がとても多いんだそうです。面白いですね。



(その他)



マリオ⋅オルランドは本名です。芸名ではありません。よく聞かれるんですけど。

私は火曜日から日曜日までDJをしています。木曜日と金曜日はミロンガを2つハシゴします。午後3時に出て朝6時に帰宅します。(苦笑された顔を見直すと、お日様とは関わりないような顔色です)

伝統的でない新しい曲をかけるミロンガもあります。私がDJしているミロンガの中にはゲイのミロンガもあります。(La Marshal)。あきらかに,伝統的ではありません。そのミロンガではエレクトロニクスや,ギリシャの音楽などかけます。ゲイミロンガと言いますが,ゲイではない人が沢山来ています。



翌週の木曜日、都心にあるアフターヌーンミロンガ、エルアランケに行ったらマリオさんがDJで偶然の再会をしました。まず“どう?曲の違い判る?”と聞かれ、なるほど、確かにここではもっとチャッチャカ速い曲が沢山掛かっていました。先日とは違ったカジュアルなTシャツ姿で、私の緊張感もすっかりとれました。

0 comments:

コメントを投稿

 
ミロンゲロスの部屋. Design by Wpthemedesigner. Converted To Blogger Template By Anshul Tested by Blogger Templates.