ミロンゲロスの部屋(タンゴを受け継いで行くという事)

アルゼンチンタンゴの先駆者である“ミロンゲーロ”達によるインタビューをシリーズ化しました。

このインタビューの目的は、古い時代より生き,踊り続けて来たミロンゲーロ達の声を聞く事によってアルゼンチンタンゴの歴史、文化,美学を学び、伝統を受け継ぐ事が出来ればと願い始めたものです


2009年8月22日土曜日

インタビュー1:ファクンド ポサダ 

ファクンド ポサダ氏は未だタンゴ界に残る数少ない古いミロンゲーロで、タンゴの黄金時代であった50年代からずっと踊り続けています。タンゴ、ミロンガ、カンドンベを踊り、教え、世界を羽ばたいているおそらく唯一のアフリカ系アルゼンチン人として名を挙げています。




“タンゴは忍耐です。タンゴは待ちます。
決して達成できる事のない、無限のチャレンジです。“
=2009年3月 植木 公美子によるインタビュー=
(インタビューはQA方式で、E-mailにて行われました。)

タンゴを踊り続けて何年ですか?始めた頃は何歳でしたか?
踊り続けてもう何年にもなります。55年前に、“Asaltos”と自分たちが呼んでいた青年会合から始めました。その頃は、女の子はケーキを、男の子は飲み物を持ち寄っていました。それが私のタンゴの始まりで、私は13歳、ガビートは11歳でした。
その頃、多くの人がタンゴを踊っていましたか?
その頃は、そのような会合で皆よく踊っていました。
Tipica(オーケストラ)とジャズを聞き、tipicaはタンゴとジャズのものでした。というのも、その頃の人々は皆そのリズムで踊っていて、タンゴだけのオーケストラが演奏するという事はほとんどなく、普通はジャズのオーケストラとのジョイントコンサートという形式でした。
踊りには友達と、またはパートナーといきましたか?
その頃、僕らはまだ若かったので男女混合のグループで踊りに行っていました。特定のパートナーやガールフレンドを持つという考えはありませんでした。
その頃のミロンガはどんな感じでしたか?
50年代や60年代、人々はとても律義にダンスのライン(列)を守っていました。誰も、前にいるダンサーを邪魔したり抜かしたりする事はありませんでした。たとえあまり上手でない人が前にいてもじっと我慢し、その曲が終わるまでその限られた場所でうまくぶつからずに踊る事ができました。決まりはきちんと重んじられていました。きまりがきちんと守られなければ、踊りを楽しむ事はできません。私達はなぜ高速道路で決まりを守りますか?決まりを無視すれば路上は大変な事になります。それはダンスフロアでも同じです。最近、人々はそれを無視し、大変な事になっています。皆決まりを守らず、前にいるダンサー達が残したスペースをどう使ったらいいのかも分からないようです。昔はその事に対して皆ものすごく気を使っていました。よいダンサー(リーダー)はその事に熟知し、決してパートナー(フォロワー)をほかのダンサーに蹴らせるような事があってはなりません。列を乱さずに,与えられた余ったスペースをうまく使いこなしつつ踊り続けられる、そうゆう技量を持った人を私は,よいダンサーと呼びます。
どんなミロンガへ行きましたか?
年が経つにつれ、私達は近所のミロンガから繁華街へ“Milonguear”(タンゴを踊りに行く、ミロンガしに行く)様になりました。自分たちのお気に入りのオーケストラが演奏する所ならどこへでも行きました。土曜日には“カルロス ディサリ”のオーケストラを聞きに夜の1時頃までいて、すぐに他の場所へ“アニバル トロイロ のオーケストラを聞きにいきました。
そしてまた次の土曜、例えばオズバルド プグリエーゼのオーケストラを見に、そしてフアン ダリエンゾのオーケストラも同じ日に、など。私達はこれを“Doublet”(はしご)と呼びました。
いつの時代があなたにとっての“Tango Golden age”ですか?
私がtangoを始めた頃、年上の友達と遊んでいた頃が黄金時代でした。そこには “reales milongueros”(本物のタンゴダンサー達)がいて、彼らは本物のスタイルを
持った人を見れば練習に誘ってくれました。もし楽しむだけのためにそこにいるのであれば、彼らはそんな人には目もくれませんでした。彼らは私達に何ヶ月も歩く練習だけさせました。しっかりとした家を建てたければ、しっかりした基盤が必要だと言っていました。形やトリックではないのです。どのように歩き、どのようにその一歩を踏み、どこに正しく足をおくかを知らなければ何を信じていようと、決して踊り方を知っているとは言えません。
その時代の何か興味深い、面白い話はありますか?
私の人生には、たくさんの思い出や逸話があります。ある時私はペロンストリートとバルトロメžミトレスストリートの間にあるウルグアイストリートの
El Dragon Rojo”(赤いドラゴン)というキャバレーに入ろうとした時です。
入り口の階段を降りて行く途中、一人の私と同じ肌の人に呼び止められ、“君はこのキャバレーに入るには若すぎるよ”と言われました。それでも
彼は私と一緒に入ってくれて、少しの間一緒に座ってくれました。しかしその後私はすぐ帰らなければなりませんでした。人々が彼が“Negrito”(小さなくろんぼ)をつれてるなどとジョーク言っていた事が想像できますか?!何年か後、彼が“El Pricipe Cubano”(キューバの王子)で、セレモニーマスターとして
何年もフアンžダリエンゾオーケストラに付き添った人だと知りました。私はまた、ホセバッソーのオーケストラとも一緒に仕事をするという幸運にも恵まれました。
海外へ行く様になったのはいつ頃ですか?またそれはどこの国ですか?
最初の渡米はロサンジェルスで1997年小林氏と言うグロリアと エドワルドの教え子で友人であり、東京でタンゴバレエのディレクターをしている人物に呼ばれたときです。その後アルベルト とバロリーの招待によりレノを通じてツアーを続け、ダネル&マリア バストンがニューヨークへの扉を開いてくれました。彼らのおかげで私はボブドロスキーと一緒に,ガビートによって有名になったタンゴ ナダ マスというショウのためモントリオールとシカゴを回りました。そのような人々のおかげで私は今日まで渡米が可能になり、それだけでなく将来ノースキャロライナに移住することになっています。
タンゴの何を一番楽しんでいますか?
私はタンゴが与えてくれるものものは全て楽しんでいます。その情熱全て、その切なさ全て、女性の肌の香り、彼女の手やほほを介し彼女の肌を、香水の匂いを、彼女の鼓動を。これらのすべてが混ぜ合わさり“色気、艶”というカクテルを創りだす、この男女間の反応がなくてはタンゴとは言えません。フォロワー達もリーダーの腕の中にいるとき同じ様に感じます。私達リーダーはフォロワーに優しくリードを示し、動かなければならないし、正しいステップを音に外れず踏む必要があります。音楽の中に入って踊るのです、ステップだけ踏んでその後音楽を聴くというのは不可能です。
上手なタンゴダンサーとはどういうものですか?どうしたらそうなれますか?
よい踊り手となるには、経験のあるダンサーを尊敬する事が必要です。そして踊る事を怖がってはいけません。タンゴとは忍耐です。タンゴは待ちます。それは決して達成する事のない終わりのない挑戦です。経験を重ねるにつれ、私達は尊厳を持って踊るべきです。若いダンサーをまねようと思っても無理です。私達が20歳のときの様に踊ろうとしても無理です。パートナーの事を思いやり、気品を持って動き、繊細な動きを腕の中にいる相手に伝えます。
タンゴではよく“気品”という事が言われますが、気品とは何か、また気品のない踊りとは?説明して頂けますか?何がダンスを美しくするのでしょう。
どうしたら気品を持って踊れるかという事は、きちんと立っている、落ち着いている、確実で精密な足の運びそしてきちんとコントロールされたステップや動きが要求されます。私達は自分の体を思う様に動かせる様にならなければなりません。体が想いと違う動きをするようではだめです。あまりたくさんの振りやステップを入れて踊らない、(5つ以上入れてはやり過ぎです)よいダンサーを見る事は大変素敵な事です。ただ、きちんと歩くだけでよいのです。歩きの中に、気品を見る事ができます。これがタンゴでは一番難しいのです。20年以上踊っているダンサーでも歩き方を知らない人はたくさんいます。彼らはただステップや振りばかり習ってきていて、きちんと歩こうと思ったら、全てはじめから長い時間をかけて今までの癖を直して勉強し直さなければなりません。
何か他に私達に伝えたい事はありますか?
タンゴで着る服について、どんな時でも女性は、その夜が特別な夜である事を期待し準備をします。自分が持っている最上のものを身につけます。ストッキングを選び、靴を、服…etcを選びます。色をそろえ、香水を、髪型もコーディネートします。その艶かしい足をなびかせるためにあみタイツをはきます、あみタイツをまとった美しい足を見たくない人はいますか?男達もまた同じ様にしな、艶のある装いで応えます、これは双方の礼儀です。最近はどこのミロンガもたくさんの人がジーンズ姿で、シャツを外に出しスニーカーを履いています。ひげもそらず、髪もあまり清潔そうではありません、香水やデオドラントをつけていないという問題ではありません。私が踊り始めた頃は身だしなみを整えていない人は女性とは踊れませんでした。すなわちそれが、清潔にしていないとこうなるという症例であり罰だったのです。私達は常にどこから見ても完璧に整え、口臭(ほほを寄せて踊れば気づかれないはずのない)にもきちんと気を使っていました。私達のダンスパートナーである女性を敬うというよいタンゴの作法は、決して失われてはいけない決まりなのです。私たちは再度、その決まりが失われる以前にかつての男性達がしていた様に、抱擁とともにある相手に対する敬いを認識するべきではないでしょうか。私達は、男をひけらかすのではなく紳士に戻るべきです。
NYでは列を乱さず踊るという事ができる人が少ないようです。列を乱さず踊るとはどういう事か、それについての決まりは?また、技術的に何か知っておくべき事、練習すべき事はありますか?
ダンスフロアーで踊る時、列を乱さず踊るというのはとても大切な事です。ダンスのラインはフロアーで踊る一人、一人によって作られます。ジグザグにタンゴは踊れません。もし高速道路で、好き勝手走行したらどうなりますか?列を乱さず踊るためには90°に曲がり列に戻り、(フロアーがとても混んでいる場合は)決して後ろに下がっては行けません。時計と反対周りに一歩前に足をだせる事はごくまれです。それについての技術的サポートはこれと言って思い浮かびませんがただ、一人で踊っているのではないという事です。ダンスフロアーは皆のものであって、ある何人かのためだけにあるのではないのです。
あなたがタンゴを始めてからタンゴは随分変わりました。その変化についてどう思われますか?また、私達タンゴを踊り続ける、文化を継承して行く者に対し何かアドバイスやメッセージはありますか?
私が踊り始めてから、タンゴは随分変わりました。多くのダンサー達はただ人に見られるためだけに踊り、見せびらかす事に集中しパートナーの存在を無視しています。最近ではタンゴを踊る人の数は増えています。タンゴは国境を越えました。1つの心と4本の足で創られるこの踊りは世界中のほとんど全ての都市を魅了しました。タンゴが人種を超え、コミュニケーションの扉を開けた事は素晴らしい事です、言葉も知らない者同士がただ音楽を楽しみ歩くということです。この主旨は無くなる事はないでしょう。たとえ誰かが変えようとしても、そこにはいつもそれを守ろうとするミロンゲーロがいるはずです。それは文化の一部なのです。私は私の信念や言葉によって誰かを責めようとは思っていません。私がお話しした事は全て私の願いです。69歳になろうとしている私から、ささやかな願いは、そういったものを失ってほしくない、もしくはあって当然と思わないでほしいという事なのです。もしあなたがタンゴを敬って踊るのであればタンゴはあなたの望む、大きな幸せをあなたにもたらしてくれるでしょう。
愛と皆さんへの抱擁を込めて
永遠の友達
Facundo



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